はじまりのプレイア
 ゆらゆらと揺れるカンテラの光が、石の壁と足元をぼんやりと照らし出している。壁に沿って続く階段を、肩で息をしながらも、僕は上り続けていた。
 体内時計を確認すると、時刻は午後十一時三十二分。
 世界が終わるまで、あと、二十八分しか残っていない。
 慣れない石段を踏み外さないように、一歩ずつ気をつけて足を進める。この時計塔の中に入るのは、これが初めてだ。どのくらい上まで来たのか、あとどのくらい上ればたどり着けるのか、それすらもよくわからない。
 気分を落ち着け、乱れた呼吸を整えるため、僕は少し休憩することにした。角の踊り場で立ち止まり、足元を確認しながら、壁に背を預ける。ひんやりとした石の温度が、制服を通して、うっすらと汗ばんだ身体に伝わってきた。
 慣れない運動のせいで、脚がじんじんと痛みを訴えていた。ふだんの僕は、ほとんど図書室に引きこもっているだけの、根っからのインドア派だ。街で最も高いこの塔を上るということ自体が、無謀だったのかもしれない。
 それでも、ここで上るのをやめるという選択肢は、僕にはなかった。今日は、世界が終わる日なんだ。ずっとあこがれていた時計塔の最上階に、行くことができるとしたら、それはもう、今しかない。
 いつも学校の窓から眺めていた、この時計塔。街の家々と同じ、赤みの強い煉瓦で飾られた外壁に、大きな白い文字盤。黒い針が時を刻むその上階には壁がなく、代わりに見えるのは、日に三度――朝と夕方の六時と、正午――だけ美しい音色を響かせる鐘。
 あの場所から、この街を……いや、この世界を見渡してみたいと、何度思い描いたことだろう。
 塔に出入りするための鍵を持っている管理人さんに、最上階に行ってみたいと頼んでみたこともある。塔の管理というよりも大時計の整備を仕事にしている彼は、いずれ後を引き継ぐという若いお弟子さんと二人で、この塔に住みこんでいた。
 彼らの仕事が終わる午後六時すぎ、これから半日は鐘も鳴らないし、ただ街を眺めたいだけだから、と言ってお願いしてみるのだけれど、返ってくる答えはいつも否だった。『もう少し大人になったらな』というのが、彼のお決まりの断り文句だ。大人になんかなれないって、知っているくせに。
 今日こそは、たとえ断られたとしても、ドアを壊してでも塔の上まで行ってやる。そういう覚悟を決めて、ここまで来た。
 それなのに、なぜか今日は管理人さんもお弟子さんも姿が見えず、おまけにドアの鍵は開いたままという、まるで僕のために用意されたかのような状況がそろっていた。今日はしばらく友人につきあっていて時間があまりなかったから、嬉しかったのは確かだけれど、できすぎていて拍子抜けしたくらいだ。
 ただ、願ったり叶ったりと思ったのも束の間、初めて踏み入った塔の内部は、僕がなんとなく想像していたよりも、だいぶ過酷な様相を呈していた。
 まず、ひどく暗い。時計の動力部を風雨にさらさないようにするためか、この塔には窓らしいものがない。空気の流れはやや感じられるので、通気孔のようなものはあるのだろうけれど、視界のかぎりには見当たらなかった。明かりもなく、光源と言えるものは、手にした小さなカンテラだけ。
 その上、かなり大きな音が、休むことなく空気を震わせていた。たぶん、四方の壁による反響のためだろう。まるで塔自体が始終振動しているかのようで、軽いめまいにも似たその感覚に、うっかり転落してしまいそうな気がしてならなかった。
 こんな暗闇の中を、こんな音と振動の中を、あの二人は毎日行き来していたのだろうか。今さらながらに、すごいなあ、なんて思う。
 ふう、と大きく息をついて、僕は進行方向を見やった。カンテラの明かりはささやかで、せいぜい五段先までしか見えない。その向こうはもう、ぼんやりと闇に呑まれてしまっている。
 上を見上げても、下を見下ろしても、目に入るのは暗闇ばかり。果てもわからず、現在地点もよくわからず、まるでこの階段が永遠に続いているかのような錯覚に囚われそうになる。
 僕は軽く頭を振って、弱気な錯覚を払いのけた。くちびるを引き結び、また段を上り始める。
 ――今夜十二時、世界が終わる。
 いつもと何も変わらずに、午前六時の鐘が鳴り響いたそのとき。僕たちは、朝が来たことを認識するのと同じように、その事実を認識した。
 いずれ世界が終わってしまうことは、僕たちが存在を始めたときから、わかっていたことだった。それがいつ訪れるのかは今朝まで誰も知らなかったけれど、たぶん、そのときが来たらどうするかは、みんな考えていたのだと思う。その『どうするか』が、僕にとっては、この塔を上ることだった。
 もちろん、『どうするか』のかたちは、人それぞれだろう。たとえば、大切な誰かと過ごすことだったり、つとめていつも通りに過ごすことだったり、僕のように、今までできなかったことに挑戦することだったり、それから――。
「俺は、この世界の終わりを食い止めてみせる!」
 力強く言い切られたその言葉を、僕はふいに思い出した。
 あの剣士は今、どうしているだろう。『終焉』まで三十分を切ってもなお、世界を救うために、あてもなく奔走しているのだろうか。
 彼は、この街の有名人だ。剣術道場の一人息子で、見た目も性格もなかなかの好青年。『いつか勇者になる』というのが口ぐせで、だから僕たち魔法学校の生徒は、彼のことをこっそり『イツカ』さんと呼んでいた。
 僕たちは、もちろん彼自身も含めて、彼が勇者になれないことを知っていた。それでも彼は勇者を目指すことをやめなかったし、『イツカ』なんて呼んではいたけれど、僕たちはみんな彼のことが大好きだった。
 与えられた役割をぼんやりとこなしているだけの僕たちにとって、叶わぬ夢をそれでも真っすぐに追いかける彼の姿は、とてもまぶしいものだった。見ていると、なんだか自分まで元気になれそうな気がしていたんだ。
「あなたは、本当に、終わりを止められると思っているんですか?」
 『終焉』を食い止めるために情報収集をしている、という彼に、ぶつけてしまった言葉を思い出す。
 悪気はなかった。ただ、今日が最後の一日になるのなら、もっとほかにやりたいことがあるんじゃないか、それならそっちを選んだほうがいいんじゃないか、そう思ったんだ。
 でも、僕がそう訊ねた瞬間、彼は顔を強張らせた。今までに見たことのないその表情に、僕は、言ってはいけないことを言ってしまったのだと直感した。
 あわてて謝ろうとした僕に、けれど、彼はすぐにいつも通りの笑顔を見せた。明るい口調でこう答えた。
「止めてみせるさ。俺は、いつか勇者になる男だからな!」
 ――そうだ、わかっている。いつかなんて日は来ない。今日ですべては終わるのだし、たとえそうじゃなかったとしても、僕たちには、今と違う未来なんて用意されてはいないのだから。
 わかっている。みんな、わかっているんだ。僕も、もちろん彼も。わかっていて、それでも……それでも、僕たちは……。
 ふいに、暗闇に風が吹いたような気がした。
 めまいにも似た感覚がまた襲ってきて、僕はその場で足を止めた。何度か深呼吸をして、時間を確認する。体内時計の示す時刻は、午後十一時四十三分。
 世界が終わるまで、あと、十七分か。
 その残り時間が長いのか短いのか、それすらもよくわからなくなってきた。この階段もいつまで続くのかわからない。もうそろそろ、上に着いてもいいと思うんだけど……。
 カンテラを掲げて先を見上げ、そして、僕は気がついた。
 目の前に壁が見える。あと数段で辿り着く、その角で、階段は途切れていた。今までは向きを変えてまた続いているだけだった階段はもう見えず、代わりに、その位置には石の壁があった。ちょうど、今まで踊り場だった角の部分が、三方を壁に囲まれたくぼみのようになっている。
 よろよろと、けれど慎重に角まで辿り着き、僕は、初めて出現したその壁のほうを見やった。カンテラを向けると、その先にあるのはやはり段ではなく、古びた一つのドアだった。木の板をつなぎ合わせただけの飾り気のないドアで、先ほど感じたわずかな風は、そのドアの向こうから漏れてきているようだった。
 心なしか震える手を、ドアの取っ手に伸ばした。ためしにそっと押してみると、ひやりとした夜の風が、こちら側へと流れこんでくる。胸が高鳴るのを感じながら、僕は、そのままドアを押し開けた。きちんと手入れがされているのか、それは音も抵抗もなく開いていく。
 目の前には、またも階段が続いていた。けれど、そこは今までのような暗闇ではなく、かすかに明るさが感じられた。石の段は十段ほどで途切れ、その向こうには違う風景があるのだと、ぼんやりと確認できる。
 灯りがなくても大丈夫だろうと判断し、僕はカンテラをそっと足元に置いた。ゆっくりと、一段一段を上っていく。階段を上るたびに、少しずつ、外の景色が見えてくる。風が少し強く、思ったより冷ややかだ。段をすべて上りきると、両側にあった壁が途切れ、視界が開ける。
 塔の最上階は、外から見たときのイメージほぼそのままだった。柱がいくつかと柵があるだけで、基本的に視界は広い。三百六十度、どの方角も見ることができそうだ。ぐるりと視線をめぐらすと、――驚いたことに、そこには先客がいた。
「あれ……、きみは……」
「えっ?」
 思わずこぼれたつぶやきに、ちょうど反対方向を眺めていた彼女は、驚いたように振り返った。
 こちらに向き直り、僕の姿に目を留めて、戸惑ったように少し身を引く。突然現れた人物に対して、どこかおびえたようでもある。暗闇でいきなり声をかけられたのだから当然の反応かもしれないが、声をかけてしまったこちらのほうが、かえってうろたえてしまう。
 全然物音がしなかったので、先客がいたこと自体にも驚いた。けれど、今、僕はそれ以上に驚いていた。目の前の先客が、僕以上に、とてもあの長い階段を上りきるなんてできなさそうな少女だったからだ。
 最初は後ろ姿だったし、あたりが暗いから、気がつかなかった。けれど、長い髪に気弱そうなうつむきがちの瞳、見慣れた制服を着た彼女の姿は、学校で何度か見かけたことがあるものだった。
「きみは、たしか、『保健室』さんだよね」
 その呼び名に、彼女は不思議そうに視線を上げて僕を見る。
 一部の人を除いて、基本的に名前というものを持たない僕たちは、他者を呼ぶときに、わかりやすい通称で呼んでいる。ほとんどの人は、いる場所がだいたい決まっているので、場所の名前で呼ばれることが多い。いつも保健室にいる彼女なら、『保健室』さんと呼べば通じるはずだ。もっとも、この呼び方が通じるのは、学校の中だけなんだけど。
 『保健室』さんは、その呼び方にか、それとも僕が着ている制服にか、同じ学校の生徒だと気がついたらしく、不安そうな態度をやわらげた。やや緊張ぎみな足取りで、こちらに数歩近づいて、ほっとしたような笑みを浮かべる。
「ああ……。あなた、『図書室』くん、よね?」
「え? 僕のこと、知ってるんだ?」
 意外なことに、彼女は僕自身に見覚えがあるらしい。僕は校内でも目立たないほうだし、あんまり人に顔を覚えられないから、なんだか嬉しい。
「わたし、『文学少女』ちゃんとお友達なのよ。あなたの話はよく聞いてるし、何度か見かけたこともあるわ」
 少し安心した様子で、『保健室』さんは笑ってそう言った。
 『文学少女』ちゃん、っていうと……、僕と同じく図書室に居座っている、あの少女のことだろうか。寝るために図書室にいるような僕とは違い、いつ見てもだいたい難しそうな本を読んでいる、真面目を絵に描いたような女の子だ。彼女なら、確かに『保健室』さんと気が合いそうな感じがする。
「それにしても……、こんなところで会うなんて、奇遇だよね」
 話しかけながら、僕は『保健室』さんに歩み寄った。会話をするには少し距離が遠かったのだ。出会ったときの様子から、もしかしたら怖がられるかも、と思ってもいたのだけれど、幸い『保健室』さんはあまり気にしなかったようだ。
「そうよね、びっくり。わたしたち、学校では話をしたこともなかったのにね」
 特に変わった様子もなく言葉を返してくれた。よかった、と内心ほっと胸をなで下ろす。
「『保健室』さんも、街を眺めに来たの?」
「そういうわけじゃ、ないけど……。今まで、ほとんど保健室にこもりっきりだったから、どこか違うところに行きたいなって、思って。……これが、最後だから」
 ぽつりとつけ加えられた一言に、なんだかしんみりとした気持ちになった。
 ――これが、最後だから。
 『保健室』さんは、どこか寂しげに微笑むと、塔の外へと目を向けた。つられるように視線を移すと、夜空にまたたく星の海が、ほの白く闇を包んでいた。引き寄せられるように、思わずそちらへ歩き出し、しつらえられた石柵の手前で、立ち止まる。
 その向こうには、世界が広がっていた。
 ところどころ明かりが灯された、僕たちの街。それを取り囲む、点々とした光さえ見えない大きな暗がりは、街の外側に広がる森。その闇の中で、かすかな明るさを湛えている湖の水面。遠くを黒く流れていく、山の稜線。
 暗くて、すべてを見渡す、とまではいかなかったけれど、星の光に照らされてうっすらと浮かび上がる、眼下の世界。
 僕たちが、生きていた、『世界』。
 街の中で明かりが一番灯っている場所は、たぶん中央広場だろう。今日は最後だからということで、特別にお祭りのようなものをやっていた。夕方、友人につきあって一通りぐるりと回ったのだけれど、出店がたくさんあったり、あちこちで芸を披露している人がいたりと大にぎわいで、どの人も、とても楽しそうだった。
「本当は、ね」
 いつのまにか隣に来ていた『保健室』さんが、少し明るい調子で口を開いた。
「ここに来ようって思ったのは、『図書室』くんのことを聞いていたからなの」
「僕、の……?」
 突然告げられた内容に、僕は驚いて目をしばたかせた。『保健室』さんは、石柵の上に手を置いて、世界を眺めたままで続ける。
「『文学少女』ちゃんに、あなたの話を聞いてたって言ったでしょ? ずっとここに行きたがってて、でも行けないみたいだって聞いてたの。この塔は保健室からも見えるから、それで、なんとなく気になり始めて……。学校の外のことはあまり知らないから、今日が最後だって知って、どこか行きたいなって思ったときに、真っ先にここが浮かんだの。……上る途中で、『もう無理!』って何度も思ったけど、人間ってやればできるものよね」
 そう言って、彼女は隣に立つ僕を見上げた。一瞬、強い風が吹いて、長い髪が闇に乱れる。慌ててそれを手で押さえて、彼女は、少し照れたように微笑んだ。
「だから、ね。わたしが今ここにいて、こうして広い世界を見ることができているのは、『図書室』くんのおかげなのよ。だから、えっと……、その、ありがとう」
「え……、あ、うん。その……どういたしまして」
 予想だにしなかったお礼の言葉なんて言われてしまって、僕はなんだかうろたえてしまって、どう答えていいかわからないまま、よくわからない返答をしてしまった。言ったあとになってやたらと恥ずかしくなる。え、なに今の間の抜けた返事。もっと気のきいたこと言えなかったのか。
「あ、えっと……そういえば、今日はここの鍵って開いてたんだよね? 『保健室』さん、運がいいなあ。いつも閉められてるから、今日は僕、ドアを壊してでもっていうくらいの覚悟で来たんだよね」
「えっ? 鍵は、管理人さんが、開けてくれたけど」
「へ?」
 ふしぎそうにこちらを見る『保健室』さんに、僕はまたしても間の抜けた返答をしてしまった。おそらくぽかんとした顔をしているだろう僕に、彼女はくすりと笑って話を続ける。
「管理人さんと、そのお弟子さんね、わたしが来たとき、ちょうど広場の『お祭り』に出かけるところだったみたい。塔に上ってもいいですかって聞いたら、今日は『お祭り』だから特別に、って開けてくれたの」
「そ、そうだったんだ……」
 なるほど、それで鍵が開いていて、管理人さんもお弟子さんもいなかったのか。
 塔に訪れたときのちょっとした疑問が解けた……のはいいとして、だ。
「なんか、ちょっと、ひどいような……。僕のときは、一度も開けてくれなかったのに……」
 思わず肩を落としてしまった。今日だけは特別に、というのはわかるけれど、感情的に納得しがたいものがある。理由はどうあれ鍵を開けてくれることがあるのなら、今までに一度くらい、僕にも開けてくれてもよかったんじゃないか。
 そんな僕の様子に、慌てたように『保健室』さんが口を開いた。
「あっ、でもね! わたしの勝手な想像なんだけど、管理人さん、本当は『図書室』くんを待ってたんじゃないかなあ。たまにこの塔に上りたいって言って来る人がいて、もし今日も来るんだったら、開けてやろうかなって思ってた、みたいな話をしてたから」
「え……」
 彼女が話してくれたのはとても意外な内容で、僕は思わず目を見張っていた。言葉を返すのも忘れていると、『保健室』さんは少しばかり首をかしげて、それからかすかに笑ってみせた。
「『図書室』くん、いつも断られてたみたいだけど、管理人さんは、本当は、いつか上らせてあげたいって思ってたんじゃないかな。ただ、たぶん……たぶんだけど、たまにやってくる『図書室』くんとちょっとした会話をするのが、楽しみだったんじゃないのかなあ。ここは学校から結構離れてるし、学生なんてそんなに来る場所じゃない、でしょ? 一度鍵を開けてしまったら、もうそれができなくなるかもって、思ったのかも……」
 僕は、ぼんやりと管理人さんのことを思い出していた。
 言われてみれば、なんとなく、そんなような気がした。
 塔を上りたいという願いは、聞き入れられたことはなかったけれど、いつもなんだかんだと良くしてくれた。管理人室でお茶を出してくれたり、ときには食事を振る舞ってくれることさえあった。二人分にするには多すぎるから、なんてお弟子さんも笑っていたけれど、きっと、それだけが理由じゃなかったんだろう。
 ああ、そうだ。僕だって、そうだった。最初にここを訪れた理由は、塔に上ってみたいという願望から、それだけだった。けれど、いつからか、それだけじゃなくなっていたんだ。
 初めは近づきがたいと思っていた管理人さんやお弟子さんと、それでも、顔を合わせるたびに、少しずつ会話をするようになって。少しずつ、二人のことがわかってきて。だんだんと、親しくなって。
 いつしか、二人に会うこと自体を楽しみにしている自分がいた。他愛ない話をしたり、笑い合ったり、そんなささやかなひとときが、楽しかった。
 ――もう、会えないんだ。
 わかっていたはずの現実を、唐突に思い知らされた気がした。
 もう、会えない。もうすぐ世界は終わるのだし、今から二人を捜しに行けるほどの時間もない。今日は、もう、――あと十分しか、残ってない。お世話になったお礼を言うどころか、別れの挨拶すらしていないのに、もう二度と、言葉を交わすこともないんだ。
「ほんとに、終わっちゃうんだね」
 小さく、つぶやく声がした。はっとして顔を上げると、眼下に広がる世界を眺めながら、『保健室』さんが口を開くのが見えた。
「わたしね、ずっと、続くんだって思ってたの。この世界も、わたしたちも、この世界の『物語』も……。もう長いこと、『勇者』さんも来ていないのにね。いつか、また『物語』を始めるときが来るんだろうなって、それがずっと繰り返されていくんだなって、……なんとなく、そう思ってたの」
 静かな声で、ゆっくりと言葉を紡ぐその横顔は、笑みをかたどってはいたけれど、ひどく寂しげだった。
 ――この世界は、『勇者』のためだけに存在していた。
 『勇者』というのは、『図書室』や『保健室』と同じような種類の呼び名で、実際に勇者を指しているというわけではない。僕の知るところでは、『主人公』や『客人』なんて呼ぶ人もいた。ただ、『物語』が進めば必ず勇者になるから、という理由で、僕のまわりでは広くみんなに使われている呼び名だった。
 世界の外側から訪れる『勇者』のために、決められた『物語』を紡ぎ出す――それがこの世界が生まれた理由で、この世界に生きる僕らが生まれた理由だった。
 『勇者』がやって来れば、『物語』は始まり、『物語』が終わりを迎えれば、『勇者』は世界を去っていく。そして、新しく別の『勇者』が訪れれば、『物語』はまた動き出し、終わりまでを繰り返す。それがこの世界の、そして、僕らの存在意義のすべてだった。
 『勇者』が訪れなくなったということは、すなわち、この世界が存在する意味を失ったということだ。
 僕らはみんな、本当は、そのことに気がついていたはずだった。それでも、誰も、何も言わなかった。気がつかないふりをしていた。きっと、誰もが、認めたくなかったんだ。
「僕も、そう思ってた。……『始まりがあれば、必ず終わりがある』って、知っていたはずなのにね」
「……きっと、みんな、そうなのね」
「うん、きっとね」
 いつまでも、続くような気がしていた。この世界も、僕らの存在も、何もかもが。
 だけど、本当は知っていた。
 ――世界は、終わるものなんだ。
 そして、僕たちの存在もまた、必ず終わるものなんだ。
 この世界に生まれたどんな存在にも、例外はない。『物語』に深く関わるような人にも、逆に『勇者』と話す機会すらないような人にも、もちろん僕にも、彼女にも。
 『物語』上、特に重要な役割があるわけでもない僕らのような一般人は、そのほとんどが、名前もなく、家族や帰る場所もなく、ただ決められた場所に『存在する』ためだけに存在する。何度となく同じ行動を繰り返し、いてもいなくてもたいして変わらないような、まるで風景の一部のような存在感のなさで存在するために、ここにいた。
 それでも、存在し続けられるということは、それだけ運がよかったのかもしれない。『物語』上、僕らの学校は魔物の襲撃を受けて半壊することになっているので、そのたびに何人もの友人が殺された。まあ、何回か繰り返すたびに本人たちは慣れたのか、『俺、生きてる時間が短いから、お前より精神的に若いぜ』とか『またしばらくお別れだなー。次に会ったら飯でもおごってくれよな!』とか言い出すようになったんだけれど。
 ただ、毎回彼らの亡骸と対面することになる生き残り組としては、やっぱりつらいものがあった。それに、当の友人たちだって、明るく笑ってみせていたって、まったくの平気というわけじゃなかったはずだ。でも、そんなことを言ったって仕方がないから、お互いに気にしないふりをして、笑ってさよならを繰り返していた。
 ああ、そうだ。もう長いこと会っていない彼らにも、このまま、二度と会うことはない。あのときの別れが最後だと知っていたなら、いつもと違う別れ方を選んだだろうか。曖昧に笑ってごまかしたりせずに、もっと別の、何か違う言葉を伝えられたかもしれないのに――。
「だめだなぁ、僕は」
 思わずこぼれた言葉に、『保健室』さんは不思議そうに小首をかしげた。ほんの少し、無理矢理に笑みを浮かべて、僕はそれに答える。
「今さら、考えたって仕方がないのに……。あのとき、ああしておけばよかったとか、こうしたかったとか、そんなことばかり考えてる」
「わたしだって、そうだよ。今日はもう、そればっかり」
 彼女は小さく溜息をついた。やや間を置いて、ひとりごとのようにつぶやく。
「もっと、いろいろやっておけばよかった。みんなみたいに、お店でお茶したりとか、かわいい服を着てみたりとか、それから……、恋をしたりとか……そう、とにかく女の子らしいことを!」
「女の子らしい、って……」
 どう見ても女の子の、それも女の子らしい女の子にしか見えない『保健室』さんが、力強くそう言い切るのは、なんだか奇妙な光景だった。
「あ! 『そんなこと?』って思ってるでしょ。男の子にはわからないかもしれないけど、すごく重要なことなのよ!」
「えっと……、そうなんだ」
「そうなのよ!」
 勢いのある語調におされて、僕は思わず頷いてしまっていた。
 『保健室』さんって、あんまり丈夫じゃなさそうだし、きっと性格もおとなしい子なんだろうなって勝手に想像していたんだけど……。こんな一面もあったんだなあ。びっくりした。
「……そういえば、『文学少女』ちゃん、どうしてるかな」
 ふいに思い出したように、『保健室』さんは眼下の街に視線を戻した。明かりの灯る広場のもう少し向こう、南西の方角に、僕らの居場所だった学校はある。広場の周りには背の高い建物が多い上に、この夜の暗さではっきりとはわからないけれど、彼女はそちらの方向に目を凝らしているようだった。
「ああ……、どうしてるのかな。まだ学校にいるのかな、あの二人」
 ここに来る前のできごとを思い返しながら、僕も学校のあるあたりに視線を向ける。ぼんやりとつぶやいた声に、『保健室』さんは怪訝そうに振り向いた。
「ふたり?」
「うん、二人。……あ、そうか」
 気がついて、僕はかすかに笑う。『保健室』さんがいつからここにいるのかは知らないけれど、僕が最後に『文学少女』さんを見たときには、すでにこの場所に着いていたか、そうでなくても、ここに向かっている途中だったはずだ。
「僕の友人が、『文学少女』さんと一緒にいるはずなんだ。ずっと彼女のことが好きだったらしくて、もう最後だから告白したいって言ってさ……、うまくいったみたいで」
 今日で世界が終わると知って、彼は、想いを伝えるかどうか真剣に悩んだらしい。このまま世界が続いていたなら、告白するつもりなんてなかったそうだ。
 彼の気持ちはよくわかる。役割を定められている僕たちは、常に自分の思い通りに行動できるわけじゃない。両想いになれたとしても、一緒にいられる時間には限りがあるし、もし断られたとしたら、顔を合わせなければならないときに気まずくなる。もともと内気な友人だったし、それくらいなら何も言わずに今のままでいたほうがいい、そう思ったんだろう。
 でも、世界は、今日で終わってしまう。彼は、悩みに悩んで、ついに想いを伝えると決心したそうだ。けれど、ようやく意を決して図書室まで行ってみたものの、いつもの定位置に『文学少女』さんはいなかった。校内をだいたい見て回っても見つけられず、困ってしまった友人は、いつも通りの場所にいた僕に、一緒に彼女を捜すように頼んできたのだ。
 僕のほうは、あらかたの学友たちや先生とは挨拶を済ませていたし、学校の近くでお世話になっていた人たちとも――『イツカ』さんには悪いことを言ってしまいもしたけれど――だいたい顔を合わせて話をすることができていた。やり残したことと言えば時計塔に上ることだけで、そのために管理人さんをどう納得させるかを考えているだけだったので、友人の決意を聞いて、もちろん手伝うことにした。
 ただ、校内には姿が見えないということで、街をひたすら捜し回らなければならなかった。行きそうな場所に心当たりもないし、あっちに行ったりこっちに行ったりして、見かけた人がいないか聞いて回った。初めのうちは一緒に行動していた友人と、途中からは手分けして捜し始めたけれど、それでも見つからない。そうこうしているうちに、あたりはすっかり暗くなってしまっていた。
 塔の時計の長針が上を向くたびに一度学校に戻っていたのだけれど、待ち合わせるたびに彼は消沈していく様子だった。何回目かに会ったとき、彼はほとんどあきらめかけていた。『最後の日なのに、長い間、つきあわせてごめん』なんて言われてしまって、僕は首を横に振るだけで、何て言葉を返せばいいのかもわからなかった。
 ところが、『文学少女』さんは学校にいた。友人を定位置の講義室まで送っていったら、その部屋の、後ろの隅の席で彼女は読書中だったのだ。机の上には何冊も本が重ねられていて、かなり長い時間そこにいたのは明らかだった。
 友人に確かめてみたら、定位置に戻るのは玉砕したときだけ、と決めていたそうで、講義室の中は捜さなかったらしい。街の中を歩き回った数時間はいったい何だったんだろう、と僕は頭を抱えてしまった。ここに戻ったら決意が揺らぎそうだったから、という理由が実に彼らしいところではあったんだけれど。
「彼はとてもいいやつだから、幸せに過ごせているなら、僕も嬉しい」
 講義室でのことを思い出して、僕は、頬に笑みが浮かぶのを感じた。告白したいと言っていたのに、友人は結局それらしいことを何も言わなかったのだ。『少し、一緒に話をしたいんですけど、いいですか?』って、それだけ。
 それが彼の精一杯だったのかもしれないけれど、言われたほうの『文学少女』さんはかなり戸惑った様子だったし、見ている僕のほうも、そんなのでいいのかって思わず突っこんでしまうところだった。
 結果的に、『いいですよ』って答えてもらえたからよかったものの、あのときは本当にどうなることかと思った。今、あの二人はどうしているだろう。彼はちゃんと想いを伝えられたんだろうか?
「ねぇ、その……『図書室』くんのお友達って、二階の講義室にいる、眼鏡をかけた黒髪の人?」
「ん? うん、そうだよ」
「図書室で、よく居残りしてたっていう」
「そうそう。……くわしいね、『保健室』さん」
「えっ? ううん、そんなことないよ。ないない」
 『保健室』さんはぶんぶんと手を振って、そのあと、なぜか嬉しそうな顔で、うんうんと一人で頷いていた。……どうしたんだろう?
「幸せに、過ごせていたらいいよね。みんな……、この世界の、すべての人たちが」
 優しげな声が、風の音に響いて、消え入る。祈るような言葉に、そうだね、と僕は頷いた。
 幸せで、いるといい。講義室に残っていた二人も、『お祭り』に行っているだろう管理人さんやお弟子さんも、まだ世界を救う方法を探しているかもしれない『イツカ』さんも――僕が関わったすべての人も、それから、僕の知らないすべての人も。
 僕は別に心が広いわけでもないし、よくできた人間なわけでもない。苦手な人や、顔を合わせたくない相手だっていた。だけど、今は、そんな彼らにも、幸せでいてほしいと思った。世界が終わるこの夜くらいは、世界中のすべての人に、安らかな心持ちでいてほしかった。
 気がつけば、今日が終わるまで、もう三分を切っている。この世界が、僕らのすべてが終わるまで、あと三分。その時間は、あまりにも短すぎるような気もするし、今となっては、逆に長いような気もした。
「わたし、……こんなこと言うと、おかしいって思われるかもしれないけど」
 小さな声でつぶやいて、『保健室』さんは、かすかに僕を見上げる。冷ややかな風が吹き抜けて、彼女の長い髪が、見慣れた学校の制服が、ざわりと揺れた。
「この世界が終わっても、すべてが終わりじゃないって、思うんだ」
「どういう、意味?」
 彼女は、どこか惑うような表情を浮かべている。続きを口にしようかしまいか、迷っている様子だった。
「……『始まりがあれば、必ず終わりがある』。でも、『終わりは、新しい始まりに続いている』、ってこと」
 やがて静かな声が紡ぎ出したのは、この『物語』の核心に深く関わる言葉だった。
 『勇者』は、実際は別の世界から訪れるのだけれど、『物語』の中では、この街の学校で学ぶために地方からやってきた少年ということになっている。そして、『物語』の途中で、彼は、百年前に世界を魔物たちから守った勇者の生まれ変わりだ、ということが明かされていく。
 百年前、小さな村に住む普通の少年だった勇者は、恋人が魔物たちに殺されてしまったことを機に、復讐を誓い旅に出る。そして最終的には、復讐のためではなく、人々を守るために、魔物たちを率いる魔王を倒すことになる。そのとき、相討ちになるかたちで、勇者もまた命を落としてしまうのだけれど、彼の魂は終わったわけではなく、また新しい命となって始まりを迎えることになる。そうして数十年ののちに生まれたのが、『勇者』というわけだ。
 勇者と魔王が亡くなってから百年の時が流れたこの世界に、新しい魔王が生まれ、人々はまた魔物たちに脅かされるようになった。そこで、魔王をもう一度倒すために、『勇者』もまた旅に出ることになる。けれど、彼がついに対峙した魔王は、百年前に魔物たちに殺されてしまった、勇者の恋人の生まれ変わりだった――。
 この世界の『物語』は、おそらくは、この転生を中核として成り立っていた。『保健室』さんがそれを示唆したということは、つまり……。
「僕たちも、いつか生まれ変われる――だから、終わりじゃないってこと?」
 彼女の言わんとするところは、きっと、そういうことなのだろう。それでも、納得がいかない気持ちで、僕は少し首をかしげた。
「だけど、たとえ転生できるんだとしても……、この世界は、もう」
「そう、だから」
 この世界が終わってしまうなら、生まれ変わる場所もない――そう言おうとした僕の声を遮って、『保健室』さんは、再び口を開いた。
「わたしたちみたいな、小さな『人間』が、生まれ変われるのなら、ね。……こんなに広くて大きな『世界』だって、きっと生まれ変われると思うの。もっと別の、違う世界に」
 思いがけない言葉が、僕の耳を震わせる。
 風に流れた彼女の声が、まだ、この闇の中に響いている気がした。僕は、何かを言うことも忘れて、ただその声を聞いていた。
「その世界で、わたしたちは、みんな生まれ変わって……。そして、また、こんなふうに話せるときが来るんじゃないかなって、そんな気がするんだ」
 こころもち自信なさげに、自分に言い聞かせているかのように、ゆっくりと彼女はつぶやく。けれど、うつむきがちなそのまなざしは真剣そのもので、今語られている言葉が、彼女にとってはまぎれもなく真実なのだと告げていた。
「やっぱり、おかしいかな?」
「……ううん。そんなこと、ないよ」
 一瞬、問いかけられたことに気づかなかった。慌てて言葉を返す僕を、『保健室』さんは、不安そうな面持ちで見つめる。あれ、もしかして、嘘だとか思われた?
「あっ、別に、変だとか、そういうふうに思ったわけじゃないんだ。ただ、ちょっとびっくりして」
 釈明しようと口を開いたけれど、これじゃ何も伝わってないどころか逆に誤解されるんじゃないか、と僕はうろたえる。だめだ僕、いいから落ち着け。
「えっと……、今まで、そんなこと考えたこともなかったけれど、……そうだったらいいなって、僕も思う」
 呼吸を整え、ゆっくりと、言葉を選ぶようにつぶやく。
「ここで『保健室』さんに会えてよかった。今の言葉を聞けなかったら、僕、きっとすごい損をしてたよ」
 僕の言葉に、彼女はかすかに目を丸くした。不安げだった表情が、少しずつやわらかくなっていく。どうやら、今度はちゃんと伝わったみたいだ。
 彼女は、なんだか嬉しそうに、また街のほうへと向き直る。つられるように、僕も外へと視線を向けた。見渡す世界は穏やかで、夜空はとてもにぎやかだ。きらきらと星がまたたき、今にも降ってきそうに見えた。
 隣から、ありがと、と小さな声が聞こえてきた。こちらこそ、と小さく返すと、彼女は、かすかに笑ったようだった。
 ささやかな会話の間も、時は止まることなく流れる。ついに一分を切り、少しずつ、確実に、残り時間は短くなっていく。
「もうすぐ、だね」
「うん……」
 こんなとき、何を話したらいいだろうか。言葉が浮かばなくなって、風と、呼吸と鼓動の音しか聞こえなくなる。それでも、悪い気持ちはしなかった。多少の距離を置いていても、隣にいる彼女の存在が、なんだかあたたかく感じられるからだろう。
 一人だったら、寂しかったかもしれない。冷たかったかもしれない。凍えていたのかもしれない。
 出会ったのは偶然だけれど、ここに『保健室』さんがいてくれてよかった。本当に、心から、そう思う。
 ――三十秒前。
 いよいよ、そのときが近づいてきた。
 街の明かりから視線を外し、僕は、隣に立つ『保健室』さんを見遣る。その横顔に、静かに、声をかけた。
「……それじゃあ、また今度」
 もっと気のきいた言葉を思いつけたならよかったんだけど、やっぱり、僕にはそういう才能はないらしかった。
 だから、普段と変わらない、別れの挨拶を口にする。
 思えば、彼女とはここで初めてまともに話をしたわけで、今までは、こんなことさえ言ったことがなかった。今日だって、初めましてすら言っていないのだから、本当に、これが初めての挨拶になる。
 最初の挨拶がさよならだなんて、なんだか寂しい。
 これを最後になんて、したくない。
 さっきの『保健室』さんの話を聞いたからだろうか。強く、強くそう思った。今までの僕なら、きっと、仕方がないとあきらめていたはずの終わりなのに。
 ――二十秒前。
 最後のひとときまでも自由を謳歌するかのように、風が走り抜けていく。その流れがやわらぐのを待って、『保健室』さんは、ゆっくりとこちらを振り向いた。
 かすかになびく髪を押さえて、僕を見上げる。
 彼女は、微笑んでいた。
「うん。また今度、ね」
 やわらかな声で僕に答える、その瞳が、きらめいた。
 もしかしたら、涙をこらえているのかもしれなかった。僕は、何も言わずに、その小さな光を見つめた。
 綺麗だと、思った。
 ――十秒前。
 僕たちは無言で微笑み交わし、それから、もう一度、世界へと視線を向けた。
 星明かりに照らされる景色は、美しかった。
 忘れたくない、と思った。
 目の前に広がる風景のことも、今まで出会ったすべての人たちのことも。今、隣にいる彼女と交わした、ささやかな約束のことも。
 ――五秒前。
 どうか、どうか。つれていけますように。
 この魂が、いつかまた孵るときまで。
 この約束を、果たせる日まで。
 ――三秒 前。
 思い出せなくてもいい。
 忘れてしまいませんように。
 ここに確かに在ったすべてを。
 すべての思いと、感情を。
 ―― 一秒 前  。

 遠く、遠くの未来まで、


 遥か、遥かな世界まで、



 きっと、つれて、いけますように――
fin.