愛のない二人の愛情 --- Say to me, "I love you"
[ Before ] side ----- 彼女の話
 あら、あなた旅人さんね? 珍しいわね、この町に旅の人なんて。え? 町であたしの噂を聞いたって? そう……、金で買われた哀れな女だってね。ちょうどよかったわ、頼みがあるんだけど……、そんなに大変なことじゃないわ、話を聞いてほしいだけよ。旅の人にしか話せないのよ、町の人にはとても言えないわ、どこからあの人の耳に入るかわからないんだもの。

 あの人がどんな人かって? それは……、だめ、なんかうまく言えないわ。とても一言じゃ表現できないわ、あたしがどれほどあの人を嫌っているか……、名前を聞くだけで吐き気を覚えるの。あの声を聞くだけで頭が痛くなるのよ……。そう……、あの人はね、とても怖い人よ。それだけは確かだわ。……ふふ、こうして話してるだけで体が震えてくるわ。情けないわね。……怖いのよ。あたしはただ、怖くて仕方がないの。

 あの人は、あたしに言葉を強要するわ。言いたくもない言葉ばかりを、口にしろとあたしに言うのよ。あたしが何も言わなかったり、それ以外のことを言ったりすると、あの人はいつもひどいことをするわ。何度も何度も、自分の望む言葉が得られるまで決してやめない。そしてあたしが耐えられなくなってその言葉を口にすると、途端に信じられないくらいに優しくなるのよ。信じられない、本当に信じられないわ。

 そんなとき、あたしは泣きながらこう思うのよ。もしかしたら、これが本当のあの人かもしれないって……、そんなわけないのに! あとから冷静に考えればわかることだわ、そんなはずは絶対にないのによ? でもだめなの、わかっているのにそう思ってしまうのよ。ひどいことをされたあとに優しくされると、どうしてもそれにすがってしまう……。最近のあたしはおそろしいことを思うようになったわ、優しいときのあの人は好きかもしれないって……、信じられない、信じたくないわ。でもそれは本当なのよ。

 たぶんそのうちあたしは、あの人を好きだと思うようになるわ。愛してると思いこむようになるわ。だってそのほうが楽だもの。嫌で嫌でたまらない相手に好きよ、愛してるわって言わなければならないことがどんなに苦しいか……、もう言葉すら、あたしは思うようには使えない。言葉を発するたびに、あたしはどんどん壊れていくの。そのたびに心が悲鳴をあげるのよ。これはあたしじゃない、こんな言葉にはあたしはいないって!

 仕方がないわ、そう言わなければまたつらい目に遭わされるんだもの、……そう自分に言い聞かせて、この胸の痛みに目をつぶろうとするの。でも、そんなふうに言い訳をしてしまうこと自体、心にとっては苦しみでしかない。なぜこんな男にこんなことを言わなければならないのかって、そのたびに心があたしを責めたてるのよ。

 どうして、あたしを助けてくれるわけでもない心のために、苦しみばかり感じる心のために、あたしはこんなにつらい思いをしなければならないの? 心さえなくなれば、あたしはもう苦しまずに済むのに……、一度そんなことを考えてしまったら、もうそれが頭から離れなくなった。来る日も来る日も、あたしは自分の心がいつなくなってくれるのか、そればかり考えるようになったわ。わがままな心なんて捨てて、あの人を好きだと思いこんでしまえば、それであたしは幸せになれるの……、ああ、あたし、どうしてこんなことを考えてしまうのかしら。

 今はまだ、それに微かな引っかかりを感じてる。それは間違いだって、頭のどこかで思ってるわ。だけどたぶん……、もうすぐ、それも消えてしまう。あたしはきっと、あたしの心を見捨てるわ。あたしの中の本当のあたしを、最後は自分の手で殺すのよ。……ああ、それが何より怖いの、本当に怖いのよ。

 変な話でごめんなさいね。でも、聞いてくれてありがとう、なんだか気が楽になったわ……、本当にありがとう。本当に嬉しいのよ。こんなふうに、思っていることを話せるなんて……、たぶんこれが最後だわ。あたしがいなくなる前に、あなたと会えて良かった。

 ……ありがとう。あたしも、あなたの旅の安全を願ってるわ。