幸いなる終焉のために --- Yours lovingly
[ After ] side ----- 母親の話
 おや、旅のお方ですか? こんにちは。めずらしいですね、こんな辺鄙な場所に旅人さんなんて。どなたかお知り合いでも? ……たまたま、ですか。ふふ、やっぱりめずらしいですね。いえね、この町から出る道は、旅人さんが通ってこられた道だけなんですよ。この町の周りは、鬱蒼とした森がぐるりと取り囲んでいて、町と外とを繋ぐ道は一つきりなんです。そうですね、外からしてみれば、行き止まりみたいなものですね。

 ……ああ、そうだ。もしかしたら、旅人さんは、途中でわたしの息子とすれ違っているかもしれません。ええ、数日前に、この町から出ていったんです。もうこんな家にはいたくない、もうこんな町とはさよならだ、とか何とか言ってね。突然のことだったので、驚きましたよ。

 まあ、若い者が出ていくっていうのは、別に珍しいことじゃないんですけどね。あの子は昔からおとなしい性分で、胸の内もあまり口に出さないし、何をするにも消極的だし、町の中に出ることすら嫌がってたようなふしがあったんですよ。……片親だからと言われないよう、しっかりした子になってほしい、と厳しく育ててきたのですが、それが裏目に出てしまったのかもしれません。いえ、でもいい子なんですよ。親のひいき目かもしれませんが……、根は真面目だし、曲がったことはしないし、優しい子なんです。

 ただ、……細工の仕事をちょっとばかりやらせてもらってたんですけどね、自分から仕事をもらいに行くってことがなかったんですよ。それに、同年代の子たちはそろそろ結婚して子供が生まれて、って時期なのに、あの子はそういうことにもあんまり興味がなかったみたいで……。親としては、やっぱり心配だったんですよね。あんまり周りから浮いてしまうようだと、ご近所とのつきあいもうまく行きませんし……。ええ、小さな町ですから、人づきあいが良くないと、暮らしていくのも大変なんですよ。

 わたしは何とかあの子を独り立ちさせようと思って、慰めたり励ましたり、いろいろきついことを言ったりもしました。だけどあの子は、わたしの言葉をあまり真面目に聞いていないようでした。身を固めればやる気も出てくるんじゃないか、と縁談を持ってきてもみたんですが、余計なことをしないでくれって反発されて……。そんなことが続くうちに、わたしも次第に心に余裕がなくなってきて、常にいらいらして、物や人に当たったり、夜も眠れなくなったり……、お恥ずかしい話ですね。でも、あの子があんなふうになったのは自分のせいじゃないかって考えたら、どうしても……。

 だから、あの子が出ていったことを、わたしは喜ばしく思っているんです。やっと自分の足で立つことができるようになってくれた、一人で生きていく気になってくれたんだなと思ったら、やっぱり嬉しいですよ。もちろん驚きましたし、寂しい気持ちもありますが……。

 わたしは、もう歳ですし、体のあちこちが思うように動かなくなりました。昔のように仕事はできないし、一人でいつまでやっていけるかもわかりません。でも、それが原因で、あの子がやりたいことをできなくなったとしたら……、せっかく独り立ちしようというのに、その気分に水を差すようなことになったら……、そう思ったら、あの子を止めることなんてできませんでした。変に思い残すことのないように、もう帰ってこなくても構わない、って強がって送り出しましたよ。ひどい親だと思われたかもしれませんが、あれでよかったんです。

 ……ええ。もしかしたら、もう二度とあの子には会えないかもしれません。あの子のことだから、そう簡単に戻ってくるとも思えませんしね。それを考えると、ひどく暗い気持ちになります……。でも、あの子が幸せでいてくれるなら、それでいいんです。それだけで、わたしも幸せなんですよ。親ってそういうものなんです、きっとね。

 いつかあの子が、どこかで恋をして、結婚して、子供ができて……、そして、今のわたしぐらいの歳になったら。そのときには、わたしの気持ちがわかってもらえるかもしれません。わたしがどんなにあの子を愛しているか、その行く末を案じているか、そして……、どんなにあの子の幸せを願っているかを。そのころにはたぶん、わたしはもう生きてはいないでしょう。でも……、きっと、幸せだろうと思います。子供が、そんなふうに自分のことをわかってくれたら……、たとえ自分が死んだあとでも、ね。