得られざるもの --- Hopeless hope
[ Before ] side ----- 幼馴染の話
 え? なんですか、……えーっと旅の方ですよね? 浮かない顔って……、あたし、そんなに暗い顔してますか? ……そうですか。いえ、ちょっと考えごとしてただけです。え? ああ、幼馴染のことなんですけど……。んー、ねえ旅人さん、よかったらあたしの話、聞いてくれませんか? 一人で考えてると、頭の中がごちゃごちゃしてきちゃって。……あはは、そうですね。向いてないんですよ、こういうの。

 えーと、どこから言ったらいいのかな。……彼は、というか彼の家はですね、この街でも有数のお金持ちなんです。この街で、彼の家を知らない人はいませんよー。貿易を取り仕切ってる大きな商家さんで、他にもいろんな仕事をやっているんです。あと、親戚にえらい人がいっぱいいるとか、なんとか……。まあそんなのは、あたしみたいな庶民にはよくわかりませんけど。え? あたしと彼がなんで幼馴染なのかって? ああ、そうですよね、不思議ですよねー。まあ昔の話なんですけど、えーと、おしのび? って言うんでしたっけ。こっそり屋敷を抜け出した彼が、街を歩いてたときにたまたま会って、気が合ったというか、なんていうか。

 その彼なんですけど、お金持ちだからなのかな、何でもお金さえあれば手に入ると思ってるところがあるんですよ。そりゃあ確かに、ある程度は手に入りますよ。売ってる人にお金を出せば、その人が売ってるものを買うことはできます。でも! でもですよー、お金じゃ買えないものってあるじゃないですか! ……まあ確かに、彼は今まで、欲しいものは何でも手に入れてきたみたいです。ええ、物でも人でもですよ。

 人の心はお金じゃ買えない、って俗に言うけど、それは買おうとするから手に入らないんだ、っていうのが彼の言い分です。特に、女の子相手のときは、露骨に見せないようにお金を使うのがコツだとか、なんとか。どんな手を使ってるのか知りませんけど、確かにこの二、三年、彼と噂になった女性の数は、両手の指じゃ収まらないくらいです。……名家のお嬢さまとか、図書館司書さんとか、詩人のお弟子さんとか、お店の女主人さんとか、お屋敷の使用人さんとか、旅の踊り子さんとか、酒場の歌姫さ……、え? なんでそんなに詳しいのか? べ、別に詳しくなんかないですっ。みんなが知ってることですから!

 えと、それでですね! あたし、そんなとっかえひっかえしてないで誰か一人に落ち着いたら、って言ったんですよ。そしたら彼、何て返してきたと思います? 手に入れることが目的だから、そのあとまで求めていない、僕のものになってしまえばもう用はない、とか言うんですよ! ひどいと思いません? あたしそれ聞いてもう、頭に来ちゃって。何考えてるのよ! って怒ったんです。今度同じことやったらもう絶交だからね! って。彼は何か言い返そうとしたみたいなんですけど、あたしは聞く耳持ちませんでした。聞いたら余計に腹が立つだろうと思って、……いえ、そのときは単純に、彼の言葉を聞きたくなかったんです。

 それで……、問題はここからなんですけど。その次の日、彼が突然、あたしの家を訪ねてきたんです。それまでは、会うときは街中でたまたまってかんじだったから、とても驚きました。けど、本当に驚いたのはそのあとです。彼は開口一番にこう言ったんです、君に結婚を申しこむ、って。もうなんだか、寝耳に水っていうか青天の霹靂っていうか、とにかく呆気に取られちゃって……。

 だってね、旅人さん! 彼とあたしとはただの友達で、そんな、結婚とか恋愛とか、そういう関係になんてなりえなかったんですよ! ……少なくとも、あの日まではそうだったんですよ。それがいきなりそんなこと言われても……、あたし、いったい何の冗談なの、って聞いたんです。そうしたら彼、僕は本気だよ、って笑うんです。返事はあとで聞きに来るから、考えておいて、って。

 彼の女性遍歴は街中で噂になってたから、あたしとのこともすぐに知れ渡りました。近所の人たちや友達はもちろん、全然顔も知らないような人たちからも、羨ましがられたり、妬まれたり、非難されたり、もう大変だったんです。今でもよく指をさされますよ。なのにその原因の彼ときたら、そんなの知ったことじゃないってかんじで、周りにたくさん人がいても全然お構いなしで、返事はどうだい、って聞いてくるんです。もうここまでくると、あたしの反応を見て楽しんでいるんだとしか思えません。本当にもう、何を考えてるのか、全然わからないんだからっ。

 ……ええと、それでですね。そんな状況を見るに見かねたのか、父さんがあたしに別の縁談を持ってきたんです。相手は、川を渡った南の街にある、小さな商家の息子さんです。そこのご主人とあたしの父さんとは、昔からの友人らしいんですよ。父さんが言うには、例の求婚を――っていうか、あれは絶対たちの悪い冗談だと思うんですけど――受け入れなかったとしたら、この街で生きていくのは大変だろう、って。遠くの街なら噂も届きにくいだろうし、よかったら考えてみないか、って。

 それを聞いて、あたしも柄になく真面目に考えました。遠くの街にお嫁に行ったら、たぶんもう彼と会うことなんてないでしょう。あたしは新しい生活に慣れるのに大変で、彼のことなんか思い出す暇もないはずです。彼は、……戦歴に多少の瑕がつくかもしれませんけど、あの性格ですから、あたしのことなんかさっさと忘れて、次の相手を見つけるでしょう。……お互いに何の問題もないし、どう考えてもそちらのほうがいい気はしました。

 でも……、なんか、嫌なんですよね。あたし、返事も先送りしてるんです。さっさと断ればいいのに、どうしてか……、彼との関係が壊れてしまいそうで、こわいんです。彼は、性格に難ありだけど、悪い人じゃないんです。何を考えているのかわからないし、心にもないことだって平気で口に出すけど、……でも、でもあたしは知っているんです。彼はいつも、どこか冷めた目をしています。だけどそれは、決して冷ややかなものじゃなくて、寂しさに慣れて麻痺してしまったようなかんじなんです。彼、よくこう言うんですよ、……僕は今まで、幸せだと感じたことなんかない、って。

 彼は……、こんなこと、本人が聞いたら鼻で笑うだろうなと思いますけど、彼は、寂しいんだと思います。本気で語れる相手も、本音を話せる相手もいなくて……、そんな生活がずっと続いて、もう自分が寂しいってことも忘れてしまったんだと思います。だからあんなふうに、わざと他人の注目を集めるようなことをするんだと思います。……もちろん、これはあたしの勝手な推測ですけど。

 あたし、彼のこと放っておけないんですよ。彼、目を離したら、どんどん壊れていってしまいそうな気がするんです。思いあがりかもしれないけど、友達として、彼を支えていられたらって思ってたんです。だけど……、きっともう、無理なんですね。頷いても断っても、元通りになんてなれないですよね。たとえ色よい言葉を返したとしても、彼は……、きっとそのうちこう言いますよ。僕のものになってしまえばもう用はない、って。……ふふ、目に浮かぶようです。そう口にするときの表情まで……、本当に憎たらしいったら……、人の気も知らないで!

 あ、ごめんなさい……、なんだかちょっと……腹が立ってきちゃって。変な話聞かせちゃってごめんなさい、旅の人なのに……。でも、ちょっとすっきりしたかな。街の人にこんな話、できないから。うん、……どうにもならないかもしれないけど、もう少し自分でよく考えてみます。聞いてくれてありがとうございましたっ。お礼と言っては何ですけど、よかったら街を案内してあげますよ。……? ……そうですね、じゃあお言葉に甘えてそうします。あ、旅人さん! この街での滞在、どうぞ楽しんでいってくださいね!