悲痛のつがい --- The end of his sadness
[ After ] side ----- 悲しくない話
 ……あら……、こんにちは。旅のお方かしら? ……何をしているのか、ですか? ……している、と言うよりは、していた、ですね。お墓を作っていたんです。死んでしまった、わたしの片割れの……。ええ、そう、片割れです。半身と言ってもいいかもしれません。彼がいなければ、わたしは生きてはいけないのですから。

 ええ……、そうですね。彼が死んでしまったということは、わたしももうすぐ死んでしまうのでしょう。怖くなんてないですよ。わたし、何も感じないんです。恐怖も、孤独も、……悲しみも。彼が死んでしまったときも、いいえ、死に始めてからずっと……、涙一つ出てきませんでした。きっと、もう涸れてしまったんです。涙も、……感情も。

 ……わたしは……、ずいぶんと長いこと、悲しみ続けていました。そして、ずっと、悲しみ続けていくはずでした。それなのに……、どうしてなんでしょう。わたしの心は、次第に、悲しみに慣れてしまうようになりました。以前は確かに悲しかったはずのことに、いつしか、何も感じなくなってしまっていたのです。

 悲しまなければ、と思うのに、心は緩やかに動きを失い……感覚を失い……。どうしてなんでしょう? 気がつけば、悲しみだけでなく、幸せや痛みや……愛しささえ……何も感じなくなっていました。まるで、初めから、感情なんて存在しなかったかのように。

 いいえ……、次第に消えていく悲しみを、どうにかして繋ぎ止めなければ、とわたしは思いました。もっと深く悲しめるような、鈍くなった心でも悲しめるような、そんな悲痛なできごとが起こればいいのにと思いました。でも……、そんなことは起こりませんでした。起こらない何かを待ち続けているその間にも、心はどんどん平坦になっていきます。待つだけではだめ、何かしなければ、と思いました。でも、どうしていいのかわかりません。わからなくて……、試しに、わたしも自分を傷つけてみました。……痛みを感じました。それが彼の痛みだと知って、ほんの少し、悲しくなりました。悲しくなれたんです。

 だからわたしは、もっと傷をつけてみました。そのたびに、痛みが、あふれて……、赤い模様を描きました。わたしは、それを眺めながら……、いつのまにか、涙を流していました。泣きながら……、何が悲しいのか……、わからないまま、痛みに耐えて……。気がつくと、彼がわたしを抱きしめていて……、何度もこう繰り返していたんです。もういいよ、って。もう、悲しまなくてもいいよ、って……。

 わたしの感情が消えかけていたことに、彼も気がついていたのです。考えてみれば、当然のことでした。なのにわたしは、自分に起こった異常をどうにかしようと懸命で、彼の身に起きていた異常に気がつかなかったのです。……彼は、日に日に弱っていきました。何もせず、何も言わずに、ぼんやりしていることが多くなりました。気力も体力も、少しずつ削れて……やがて、思うように動けなくなって……。

 でも、それでも彼は、自分を傷つけることを、やめようとはしませんでした。わたしに何度止められても、起き上がることすら満足にできなくなっても、それでもやめようとはしませんでした。わたしは、……わたしはもう、そんな彼の姿にも、何も感じはしませんでした。何も……、何も……何一つ……。

 彼がわたしを見る瞳は、とても悲しそうだったと思います。たぶん……、そうだったと思います。それが本当に悲しみだったのか、それとも、何か違う思いだったのか……。感情を見失ってしまったわたしには、もう判断ができませんでした……。わたしは、何度も彼に謝りました。感情を失ってしまったわたしにも、いいえ、感情を失ってしまったからこそ、わたしには罪の在処がわかっていました。すべては、悲しむことを放棄してしまった、わたしのせいなのです。

 でも、彼は……、謝らなくていい、とそう言いました。――きみは何も悪くない。きみはもう、一生分、悲しみ尽くしてしまっただけなんだよ、って……。彼は……、穏やかに、笑っていました。最後まで……、わたしを責めませんでした。こんなわたしを……、こんなにも、酷いわたしを……。

 わたし……、もう、彼を愛してすらいないんです。それどころか……、愛していたのかどうかすら、もうわからないんです。あのとき、わたしが彼に抱いた想いは……それは、本当に愛や恋と呼ばれるものだったのでしょうか。それとも……、何か別の……それとは何の関係もない……許された、想いだったのでしょうか……。そうだとしたら、わたしは……。彼から、すべてを奪ってしまったのに……何一つ、報いることが、できなかったなんて……。

 ああ、もう、わかりません……。わたしには、何もわからないのです。ただこうして、ここで朽ち果てるだけ……。それが悲しいことなのか、それともそうではないのか、それすらもわからないまま……。そう……、ねえ、旅人さん。よかったら、教えていただけませんか。これは、悲しいことなんでしょうか? わたしは……、もし、わたしに心があったら……、わたしは今、悲しんでいたでしょうか? 何に対して……、悲しめて、いたでしょうか……?