純白の香り
[ 5 ] 十七の誕生日のこと
扉を開けた彼女は、僕を見上げて微笑んだ。
「いらっしゃい、セラルさん。今日はあなたが来るかもしれないと思っていたわ」
「こんにちは、サユ。きみはいつもそう言うね」
笑みと言葉を返す僕に、彼女は微笑んだまま頷いた。
「ええ。だって、毎日そう思っているんだもの」
さらりとそんなことを言われて、僕は思わずどきりとする。
「それはそれは、光栄だね。ついでに、毎日来られなくて悪かったね」
内心の動揺を気取られないように、慌てて芝居がかった科白を返す。
「あら、悪いだなんて言っていないわ。知っているでしょう? わたしは、待つのも結構好きなの」
にこにこと笑みを浮かべて、彼女は僕を家の中へとうながした。導かれるまま足を踏み入れ、僕のために開かれた扉を閉める。その間に、彼女はいつもどおり、奥に向かっていく。玄関から真っすぐ進めば、すぐにあるのは小さな居間だ。
あとを追って居間へと入ると、彼女はテーブルの上の本を棚に戻している最中だった。本を何冊も机の上に重ねてひたすら読書に励むのは、彼女の唯一と言っていい趣味だ。どう見てもこの部屋の棚には収まらない本があるのも、彼女がそれに気づいて慌てて他の置き場所を探すのも、いつものことだった。
「相変わらず本だらけだね、この部屋は」
笑いながら言うと、彼女はちらりと僕を見て、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「ごめんなさい、いつのまにかこうなっていて……今、片づけるわ」
「いいよ、そんなことはしなくても。今度、僕が来るときまでにやっておいてくれれば」
冗談めかしたこの言葉を、僕は毎回彼女に言っているような気がするけれども、もちろん、今までに部屋が片づいていたことはない。
「それにほら、今日はただ、」
言いながら、僕は肩にかけた鞄を開けた。片づけを中断して不思議そうにこちらを見る彼女の前で、小さな群青色の箱を取り出す。
「これを、渡しに来ただけだから」
「……? なぁに? それ」
「さあ、何だろうね」
怪訝そうに眉根を寄せる彼女に近づき、左の手を取って、ぽんとその箱を置く。小さな箱は、彼女の手の平の上にも、ちょこんと収まっていた。
「開けてごらん?」
「何? 何が入っているの?」
「この時期にはお約束の、あれ」
「おやくそく……?」
首を傾げながら、彼女は箱についた金具をはずした。ぱかりと開いたその箱の中に、さらに小さく収まっているのは――
「え……、指環……?」
なおも不思議そうな顔をする彼女に、僕はなかば呆れながら、その箱を取り上げてテーブルの上に置いた。群青の箱から鈍く銀色に光る指環を取り出し、ご丁寧にもう一度彼女の左の手を取って、その薬指にはめてあげた。
「え……?」
「誕生日おめでとう、サユ」
「……え、あっ、やだ……」
途端にかあっと赤くなって、彼女は自分の指にはめられた指環と、その指環をはめた僕とを交互に見やった。
「気に入ってくれた?」
「これ、……これ、わたしに?」
戸惑うように訊ねられた言葉に、僕は苦笑しながら答える。
「もちろんそうだよ。仕事の合間に、こっそり作った自信作。どう?」
ゆるやかな細い二本のラインに、大小さまざまな七つの星をあしらった、銀色の指環。
「……すてき……」
じっとそれを見つめて、彼女は小さな声でつぶやいた。夢見るような瞳は、きらきらと、それこそ星のように輝いた。
「でも……、本当に、いいの? わたしなんかが、もらってしまっても」
なおも不安そうに僕を見上げる彼女に、もちろん、と頷く。
「というか、受け取ってくれないと困るんだ。婚約指環も兼ねてるから」
「そうな……、……? こ、……」
できるかぎりさりげなく続けた言葉に、彼女は一瞬動きを止めた。
「……んや、く?」
「そうそう。あ、もちろん、きみと僕がね」
「あの、……初耳、だけど」
「うん、初めて言ったから。ついでに、晴れて結婚ということになれば、きみの名前がサユ=チェインガルになるというおまけつき。どう?」
彼女は状況を把握しているのかしていないのか、ぱちくりとまばたきをする。しばらくそのまま時は流れて、静寂に耐え切れなくなった僕が、もう一度口を開く。
「それで、返事は?」
「……返事?」
「そうだよ。その指環、受け取ってくれるよね?」
「え、……これ、本当に、もらっていいの?」
「……きみ、意味わかってる? ……。まあ、いいか……」
やっぱり呆れながらつぶやいた僕は、こちらを見上げる不安そうな視線に気がついて、苦笑しながら言葉を続けた。
「その指環は、僕がきみのために作ったものだから、きみの指以外には行き場所はないんだよ。だから、それは間違いなく、きみのものだ。……わかった?」
彼女は僕の言葉を、一言ずつ噛み締めるように聞いていた。最後にこくりと頷いて、それから左手を右手で支えて、もう一度薬指を見つめた。
「うん……、わかった……」
その表情は次第に幸せそうな、けれど泣きそうな笑顔になって、彼女は何度も何かを言いかけて、けれどそれが言葉にならなくて、やがてどうにかしぼり出した声は小さくて、不明瞭で、
「……うれしい……、ありがとう……」
だけど僕には、はっきりと、そう聞こえた。
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